危険と不安、チャンスと挑戦 〜タケノコ戦争からの考察〜

最終更新日

私の座右の銘に

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」

という言葉がある。

 

私はこれを

「リスクをとらざるば、何も得られない」

と解釈している。

 

これまでこの言葉を胸に、

様々な「自分的挑戦」を繰り返してきた。 

 

多くの失敗をして、沢山の噛み跡を自身に残している。一方で、周囲の人間が得て来れなかった経験や成果、出会い、信頼を得ているとも自負しているし、そんな自分に誇りを抱いている。

 

何より。

そんなあれやこれの人生が楽しいとも思っている。

 

もちろん。

誰もかもが何かに挑戦して、

人それぞれ何かを得ていることは分かっている。

 

でも私は人一倍そのような気質を持っている。

果敢にリスクを取る方だと自負している。

私以上の人間もいることも理解している。 

 

そして、この世はそんな人間らによって大きく前進してきたのであろう。と勝手に思っている。

 

 

さて、なぜこんな話を始めるかというと

一昨日に「タケノコ戦争」というのが我が家で勃発したことに端を発す。

以前に「怒りの焼き肉とパンケーキ」という記事で書いた内容と酷似した事案である。 

ので、「またか」の話であるが、

致し方ない。人間そうなかなか変われない。

 

タケノコ戦争の内容は別に本題では無いので

読み飛ばしてもらっても構わない。

 

ーーーータケノコ戦争の概要ーーーーーー

2022年GW前半。

それは春真っ盛り、山菜の時期である。

アヒル子とカレピは、

おっきなテントや道具を持って

東北で3泊の休暇を過ごしてきた。

(本当は京都という話もあったが、

カレピの人混みは嫌という声で変更)

 

さて、するとGW後半は片付けが待っている。

アヒル子はここぞとばかりに、

テントや道具類の汚れを落として

干して、それなりに徹底的に片付けをする。

この先は梅雨と湿気の多い夏だ。

私の大事な道具類にカビなんて生えたら、

嘆き悲しむどころじゃ無い。

 

しかし、なかなか日が照っている中で

永遠と片付けも辛い。

途中、庭の草むしりや

山菜天ぷらパーティーの片付けも挟む。

洗濯物も片付けなければ、、、、

 

タケノコはキャンプからの帰りで

「美味しかったから、また食べたい」

と言うカレピのリクエストだ。

スーパーのカゴに入ってきた。

 

ある程度皮を剥いて、切れ込みを入れ

米ぬかと唐辛子と一緒に1時間煮込み

その後は8時間置いて、アク抜きをする。

 

アヒル子の実家では夜に煮て、

一晩置く母の姿を見てきた。

だから必然的に夜にアク抜きをするものだと

思い込んできた。し、

そもそも日中は他のことで

そこまで気が回らない。

 

落ち着いた夜に煮て、一晩置くのが

やはり自分に合っている。 

 

しかし、寝る直前までやらないものだから

夜の12時とか、11時に煮終わる。

それが、カレピにとって気に食わなかったようだ。

 

カレピ「うとうとしながら、火を扱うなんてとんでもない!!寝落ちしたらどうするんだ!!前にも言っただろ!!早く寝ろ!!俺は寝たいんだ!!」

アヒル「たしかに、うとうとしてるけど!タイマーもセットしているし、煮えるまで寝ない!!そもそも日中になんかできない!そんなん言うなら自分でやれ!!勝手にお前は寝てればいいだろ!!」

 

と案の定の口論。

結局、10時45分ごろ

タケノコは残り15分のところで。

ゴミ箱に捨てられた。

 

タケノコの恨みは重い。

私は翌日、土日に実家に帰る予定もあったので。

全てを投げ出し、実家へ帰った。

今はあの家にいつ戻ろうか悩み中。


ーーーーーーー 完 ーーーーーー

 

ちなみにコレはあくまでもアヒル子目線での話であり、カレピ目線からしたら違うストーリーになるのだろう。

まあ、どっちが悪いとか

コッチが正しいとか

そんなものはどうでもいい。

 

話したいのはここからだ。

 

リスクテイカーなアヒル子にとって

常に付き纏う悩ましい問題である。

 

何をするにも常に周囲から

「それは大丈夫なのか?」

「やめた方が良い」

「最悪なことが起こったらどうするのか」

と、不安と恐怖の声を頂く。

 

勿論それらはそれで、

もっともなことでもあるし

「やらない」に勝る安全はない。

最悪なことが起きる可能性はゼロにはならない。 

 

しかし怯えていたらリターンも、ない。

「かもしれない」と言う不安はキリがなく、

不安に気を回し続けていたら

それだけで終わってしまう。

安全を取るか。

挑戦を取るか。 

それはリスクとリターンの大きさにもよる。

防衛策、リスクヘッジにもよる。

 

常にそれぞれの大きさ、

起きる確率、そして最悪を防ぐ防衛法。

コレらを天秤にかけながら、判断していく。

そして最終的な判断と行動は

個々の価値観や経験、

今後の展望に依存し、個人によって異なる。

 

当たり前の話だが

この当たり前の話で周囲と常に衝突する。

それぞれがとった判断が必ずしも正解ともならない。

ただ、経験上ではあるが。

取り返しのつかないことまで発展することも稀で

何か起こっても、軌道修正でなんとかなって

しまうものだ。

 

恐怖や不安に駆られるばかりで

「やらない」「挑戦しない」

というのは、あまりにも機会を

損失してないだろうか。

もったいないではないか。

 

ここまで読む人がいて。

今回のタケノコ戦争はこの話とは関係ないと

感じる人もいるかもしれない。

しかし以下に整理するとなんとなく

理解してもらえるのではないかと思う。

 

リスク:家燃える(起こる確率は?)

リターン:美味しいタケノコが翌日に食べれる

防衛策:タイマー、日中にやる

リスクを回避すると:タケノコ食べれない

 

では日中にやればOKか?

 

そのためには日中に私がやっていた作業の

どれかを犠牲にする必要があるであろう。

カレピに指示を出してやってもらう?

仕事中なのに?

私も自分の作業をしながら気が配れるか?

私はそんな器用じゃない

 

じゃぁ、やらないという選択肢もあっただろう。

ただ、やらなければタケノコは保存されている間に

悪くなっていくし、翌日は私もカレピも出社。

その翌日は一日中用事が入っている状態だ。

 

結果、私はタイマーをかけると言う防衛策を片手に、寝る前にタケノコを煮ると言う選択をとったわけである。コレによって片付けもある程度満足できるまでやれたし、翌日には美味しいタケノコが待っているはずであった。

その時点で私のできる最大をやった。

 

が、結果は書いた通りだ。

カレピが怒り狂うリスクまで考えていなかった

吾輩の完全なる敗北である。

 

まぁいい。

タケノコなんざいくらでも手に入るし、

来年にまた煮ればいい。 

 

 

問題は。

こういう時に今後どうすれば良いのか。

私は本当にダメなリスクまでとっているのか

私の生き方は間違いなのか。軌道修正が必要か。 

リスク許容度の違う周囲と、どう調和していくか。

 

周囲との問題については。

今後同じような問題に行き当たっていくのは

容易に想像できる。 

 

それはもうその都度、喧嘩して

話し合ってやっていくしかない。

その場の課題に対してとる選択を

お互いに話し合って決めていくしかない。

仲違いしてしまうこともあるかもしれない。

それはそれで行く着く先である。

 

そして私の価値観については、

結論的には今のままで居たいと思う。

 

 

思い返せば、職場でもよく言われる。 

 

「リスクの取りすぎだ」

「間違っている」

「それで後々問題になったらどうするのか」

  

私の職場はいわゆる半官半民で、

公務員的思考が強い。

「役所よりも役所らしい」

と揶揄されることもある。

  

だからだろうか。

判断して決める人間が少ない。

リスクを取らない人間が多い。

悪く言ってしまえば、

「事なかれ主義」である。

「責任回避」だ。

 

「問題になったら、、、」

って、なる可能性はどのくらいあるのだろうか。

問題になったらなったで、

取り返しのつかないことか。

機会を損失してまで、もしくは他者に強烈な

負担を強いてまでトコトン

リスク回避することなのだろうか。

 

「なかなか思うように仕事が進まなくっても、事が為せなくっても、それはしょうがない事なんだよ。それよりも、ルールを守って何も起きない事、そつなくこなす事が大事だ。もどかしいようだけど、仕方ないのだよ」

 

と言われる。

お世話になっている人の言葉だから、あまり悪くは言いたくないのだが。

バッシングの激しい世の中。

致し方ないことだが。

 

決して私はこういう考えには染まりたくない。

 

私から言わせてみれば「だから巷には、『やった』というパフォーマンス、後にもこうにもならないどうしようもない仕事が溢れてるんだ!税金を使ってて、よくそんなことが言えたもんだな!!」と叫びたくなる。

 

そんな信念で。

ものをハッキリと言い。

周りとは逆行するような形で仕事してきた。

時には負わなくてもいい責任や

しなくてもいい仕事にまで精を出し、

声を張ってきた。

 

だからこそ、歯軋りしながら生きてきたし

夜も寝れない不安に襲われて、

最終的には休職という事態も犯してしまった。

大きな失敗や失望も買ってきた。

 

だけれど、だからこそ。

周りや関係者から私を見る目は違うし

厚い信頼も得られていると感じている。

胸を張れる結果だって得ることができている。

それが結局、組織や部署の成果に昇華していっている。

 

そして私の過ごしてきた時間は、

かけがえのない地肉となって、ここにある。

と実感している。

 

信頼を寄せてくれる彼らとする仕事は

一味も二味も違えば

思わぬ方向に、勝手に運ぶ事もある。

「アヒル子さんが帰ってきて本当によかった」

「飲みましょう。また一緒に仕事をしましょう」

 

休職明け、甘えではあるものの。

その様に声をかけてもらえたことは

その証だと信じて止まない。

 

その昔

「アヒル子さんの、ちゃんと言葉を発していく仕事の仕方は偉いと思う。是非このまま、胸を張って仕事をして欲しい」

と言ってもらったことがある。

 

似たような言葉は他の皆様からも頂いている。

偉くなってきた人ほど、同じような言葉を

言ってくれる。共感する、尊敬できる

アドバイスをくれる。

 

その言葉の数々を支えに。

恐れや不安に負けず。

仕事も。自己実現も。

声を発し、行動して。

頑張っていきたい。 

 

 

「チ。」を改めて読み返してみた。

死ぬかもしれない、というリスクを背負ってまで

信念を貫く姿。

皆そんな姿がカッコいいと思うから

そうありたいと思うから

勇気を貰えるから人気が出るのであろう。

 

と勝手な解釈して、満足して。

GWが明けそうである。

 

まぁ、タケノコは。

だらっとしてた時間を無くして。

もうちょっと早く始めていれば

良かっただけなのかもしれない。

 

ただそれだけの話から、

人生論までを葛藤した

アヒル子でした。 

 

ちなみにこの記事を書いたアヒル子はこんな奴です。

我ながらこんな記事を書いてしまう理由として、納得。

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